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第六章 天女、求婚 + 12 +

last update Last Updated: 2025-06-21 20:42:12

 余計なことを、と毒づく慈雨の声を耳に、桂也乃は嗤う。

 救護室でおとなしくしていたのも、怪我の治療のためだけではなく、皇一族に嘆願した『雪』の件について報告書代わりの手紙を大量に認める必要があったから。幸い、校医の氷室は『雪』で、皇一族には好意的だった。だから彼女は安心して筆を執った。そして郵便船と海軍の定期船を使い分けながら情報をばら撒いた。

 その後も誰が信頼できる者か、もしくは裏切り者であるかを吟味し、帝都での動きを煽るように撫子色の便箋に文字を綴った。ときには偽りの情報も交えて。

 桂也乃を雇うと口にした第一皇子の大松をはじめ、異母妹を護れとぶっきらぼうに頼んできた義理の姉にあたる梅子には桜桃と傍にいる侍女の周辺について詳細に書いた。もちろん、侍女が小環皇子であることは記さずに。

 婚約者の兄である向清棲伯爵には自分が怪我したことを伏せ、彼の元婚約者でもある桜桃のことばかり綴った。

 老齢の藤諏訪子爵には愛娘である麗の裏切りを知らせ、これ以上ややこしくするなと牽制した。その手紙も原因なのか、心労が重なって病床に入ってしまったときく。

 空我家と美能家にはあえて送らなかった。梅子と蝶子がいたから必要ないと判断したのだ。

 それから四季の遠い親戚で皇一族に仕える神官となった覗見に、天神の娘が天女であることを伝えるよう神嫁御渡の前日に蝶子に確認をとった。蝶子は艶やかな微笑みを桂也乃に贈ってくれた。その後、表情を封じてしまったが……

 潤蕊を支配し、邪神へ生贄を捧げつづける『雨』から逃れるため。神嫁御渡の際に発動した呪術によって表情を奪われた蝶子はそのまま、迎えに来た新郎に連れられて帝都へ脱出したのである。

「逆さ斎にばかり気を取られていたのね」

 同室の四季も共犯者ではある。彼に慈雨が伊妻の忘れ形見ではないかと疑念を持たせ、式神を使わせたのは桂也乃なのだから。

 梧種光が養女に迎えたという慈雨。彼女の身元を探るのに、神から与えられるちからは無用である。狡賢い頭脳を回転させて桂也乃は手に入れたのだ。水嶌家の乳母として雇われていたカイムの民の証言を、救護室で身体を休めていると周囲に思いこませている間に。<
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